父への思い

自分の心の整理をしたく書いておりますm(__)m

11月14日  父が母の元へ旅立ってからもう・・・13年の年が過ぎました。
私にとって父は自慢でした。結構イケメンでしたから(^^ゞ
小学校・中学校と父兄参観日の時、必ず担任が「是非 お父さんに来て頂きたい」と、
私に伝えに来ていました。母も父にぞっこんだった気がします(笑)
父は元々豪快で、お酒も好きで、賑やかで、人と繋がるのが好きな人でした。
毎日のように家には色々な方が集まり、宴会をしていました。
私も小さいながらも台所で母の手伝いをしていました。まぁそれが普通だったので・・・。

父は母が亡くなって12年目に急に高血圧になってしまい、肩で息をするぐらいになっていました。
N市(私の主治医がいる)病院に紹介され、検査に入りました。
内分泌ホルモン異常が見られた。
脳神経外科や内分泌の専門医が診察をしている中、意識がなくなりそのまま入院になってしまいました。
付けられた病名は「脳幹異状萎縮及び内分泌異状」???
一瞬で意識がありながら息が止まり窒息死する・・・か!
元気なのに心臓が一瞬で止まると、告げられた。
突然死は100パーセント訪れると告げられた。
神も仏もいない!どれだけ私に乗り越えろと言うのか?と、空を見た気がする!

直ぐに嫁ぎ先と実家との二重生活が始まった。
当時は介護保険もなければ介護の施設も余り無く、西へ東へと話を聞きに走りました。
市役所や公民館・地域の民生委員・無料法律相談など、何にでもすがった。
そんな髪を振り乱していた私に気付いて、助けてくれたのが父の友人達でした。
そうです!母の時に助けてくれたおじ様達(病院の院長・事務長・福祉関係の役職・県の職員)でした。
自宅と施設と病院が連携でき、私の負担にもならず父も快適に過ごせるようにと・・・
手と知恵を授けてくれました。

7年間、泣きたくなるぐらい大変な時がいっぱいあったけれど、今は笑い話。
同じ時期 娘が高校生でして、学校の休みの時は良く介護を手伝ってくれました。
「じいじのお世話をしたいから介護福祉士の資格を取る」と、いって介護してくれてました。
時には介護が長いと、何度も嫁ぎ先から心を刺す言葉を言われ、泣いた事もあった(でも負けなかった)

夏 ついに恐かった症状が出た。食べるという機能が働くなった。
餓死をする可能性が出てきたので、栄養補給の治療になった
それから少しするとみるみるうちに父の体重が5~10キロと激変
検査するとすい臓に腫瘍が!!内分泌異状が引き起こしたそうです。
もはや治療は出来ない状態でした。
悪い連鎖は続く・・・10月になって意識が混濁してこん睡状態になってしまった。
24時間体制で治療(私も付き添いに入った)
痙攣が始まった。脳幹萎縮とすい臓がんの転移がCT検査によって確認された。
少しでも良い。父と静かに・・・穏やかに・・・時を過ごせるようにと願った。
11月14日
何度も峠を乗り越えてきた父でしたが、お別れする時が来てしまいました。
「父さん、母さんが待っているよ。頑張ったね。お疲れ様」と声をかけた
すると父は、にこっと笑ったような気がした。そして静かに母の元へ旅立った
それから20分後 もう1つのお別れがあった・・・
私のことを凄く心配してくれていた名古屋の義兄のお母さんが亡くなった
悲しみが重なる事は辛かった・・・
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葬儀を終えてからの私は、感情が上手く表せなくなり・睡眠障害もおき・・・
心も閉ざしていた
そんな私を周りの多くの方達が支え励ましてくれ、此処までこれました。
有り難うございます。

父と母・姉・名古屋のとしこ母さんは空の上で仲良く見守ってくれているね
やっと、父の事 思い出として書きとめる事が出来ました。感謝。
お墓にお参りに来て話してきました
「父さんの大きな心と大きな手に守られてたね。大きな背中も心強かったよ。」
「有り難う。」
「今度、たー君のお嫁ちゃんを紹介するからね♪」

さ~て!笑顔になる楽しい事見つけて、遊ぶぞ~~\(^o^)/ 
(おい!おい!)←誰かの声(笑)

by mame-mamechan | 2013-12-22 12:36 | その他